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ママとまーくん&まめ

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花のある人 花になる人

『なぜ懸け衣があるのか』

 男と女。能力でとらえる方法がある。
情念のモノサシで測ることもできる。
しかしいずれも部分的であって、男と女の違いを
全体的に語れないのではないか。
男と女。そう並べないで、「女とはなにか」の道をすたすた歩いてゆくと、
「人間とはなにか」という大きな山の前に出るかもしれない
・・・中略 

「辻が花」という染めもので、室町時代の染色である。
紅型に似ているが紅型ではない。友禅そっくりだが、友禅の手法でやると似てこない。室町文化の、ひとつの謎になっている。そんな謎めいた着物を、室町時代の染師は、なぜ染めたのであろうか。
 美しくあれ、である。
 その思いだけである。その思いが技法を発達させ、
洗練させたのだと思う。たいへんなことである。
そのたいへんな思いに、女のひとをゆき逢わせたいと思う。
ゆき逢って、「まあ、綺麗」から「幻の着せたかったのね」に
考えが燃えのびると、「作法」や「マナー」の意味なんて、
ひとりでにわかってくると思う。

 懸け衣、というのがある。架け衣とも書く。
人から注文を受けたわけでもなく、売ろうとするわけででもなく、
織匠が想念のうちに最も愛する女をおいて、その幻の人のために織った着物である。
だから実際に袖をとうさせないで、ただ衣桁に架けておくだけだ。
それを見て、「どんなひとが着るのだろうか」と想像する。
いやな女は想像させない。堅い表情の女は浮かんでこない。
贅沢な衣だと思う。

男と女。その間に生まれる情念は、貧弱であったら、やりきれない。
ゆたかな情念がほしい。
その情念が、その情念のために技芸をつくし、
粋をこらしたものに触れるとき、ふと涙ぐむのではないのか。
感傷ではなく、男も女も、生き切ることの哀切さに、
涙ぐむのではないのか。

                             草柳大蔵
花のある人 花になる人

『懸け衣』という言葉(かけごろも)印象的です。
何百年も前から、この国には粋という文化があったことを、若い人たちに受け継いでいって欲しい、
古い本を、またまた読み返し、年代と共に深く思うこの頃、捉え方が、変わりました。        ママより



P7290289.jpg

       ぼく 鼻あるよ~
 

- 2 Comments

マークンの ママ">

マークンの ママ  

”なんくるなる”

マークンの ママ">

『自らなるようになるー。』「なんくるなる」と言う意味なんですね!方言沖縄が好きになりそうです。
マークンは、顔が小さいんですよ、逆三角形のまま大人になりました、鼻が高いで~す(笑)コメントありがとうございました。

2011/08/30 (Tue) 11:23 | EDIT | マークンの ママさん">REPLY |   

なんくるなる‘琉’  

No title

マークン鼻高いよー。^^

2011/08/30 (Tue) 01:05 | EDIT | REPLY |   

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